モータリゼーションの夜明けを告げた純国産車

自動車などというものは、外国から輸入すればよい。今更、国産車を育成する必要など必要ない。そんなふうに考えられていた時期にトヨペット・クラウン RSは、純粋な国産車のオーナーカーとして生まれました。昭和30年の1月のことです。第二次世界大戦が終結して10年もしないこの時期にトヨタ自動車は、純粋な国産車のオーナーカーを生産したのです。サンフランシスコ講和条約から4年もたたないうちにクラウンのオーナーカーが生まれたということは国産車の歴史の上でもこの車の製造の意味は計り知れないものがあったと思います。

 

戦後間もないこのころは、自動車を普通の人が持てる時代ではなくそれまでに発売されていたクラウンは、タクシー業者向けに作られた車がメインでした。初代クラウンは観音開きですからとても時代を感じます。排気量は1453tで95万円でした。当時の大卒初任給は1万円台の前半くらいであったことを考えると現在の価値にすると1500万円くらいになるでしょうか?

トヨペット・クラウン・デラックス RS41

昭和40年式のトヨペット・クラウン・デラックス RS41は2代目クラウンの中でも特別の車といえると思います。日本の車産業においてこのフラッグシップが果たした役割はとても大きかったのではないでしょうか?クラウンの広告コピーで『いつかはクラウン!』というものがありましたが、ひょっとするとこのモデルの持つイメージではなかったかと思われます。

トヨペット・クラウン・オーナー・デラックス MS50-KB

最近でも白い車はかなり人気のようですが、MS50−KBのイメージによって日本では白い車が流行ったのではないか?そう思われるほどこの車の白のイメージは豪華な内装とともにクラウンへの憧れを鮮明にしたのかもしれません。当時の白い車のイメージは、営業車ではなく個人所有の車であるという強烈なアピールがあったように思われます。

トヨタ・クラウン・デラックス MS60-YD

クラウンの中でも超不人気車と知られるこの車は、日本車の豪華な姿という意味では、とても重要な要素なのかもしれません。かなり冒険をした車であって販売的には良い結果を得られなかったのかもしれませんが、トヨタの進歩の一過程としてとらえると決して忘れてはならない冒険だったのかもしれませんね。

現在のクラウン

ハイブリッド ロイヤルサルーンGは、5,360,000円
最近の経済状況に照らして考えると決して安い車ではありません。ただ、60年前の車と比べればその真価は歴然です。その気さえあれば100万キロくらいは平気で走れるような気がします。日本には車を大切に長く使うという文化はないのかもしれませんが、部品さえしっかり交換していけば30年とか50年後にも走らせることができるような車に仕上がっていると思います。問題は、進化し続ける自動車産業にあって、部品を製造し続けられないということになるのでしょうか?